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下町ハイヂ 名前の由来
下町ハイヂは第1回公演『マイアミにかかる月』が終るまで、実は『下町ハイジ』だった。
結成当時、『アルプスの少女ハイジ』の作者が没後100周忌念ということで、
その波は演劇業界にも押し寄せていた。
なんと『アルプスの少女ハイジ』の舞台が催されたのだ。
時を同じくして、メンバーが劇団名決定会議を開いていた場所にその公演のチラシが貼ってあったのだが、
大森正義が壁に貼ってあったそれらのチラシの言葉を組み合わせて『下町ハイジはどうかなぁ?』と発言した。
それにより劇団名は『下町ハイジ』に決まった。が、しかし!
『下町ハイジ』として出発したメンバー。
旗揚げ公演『マイアミにかかる月』の稽古を着々と進めていた時、事件は起きた。
主宰、橋本光平の元に『日本アニメ協会』みたいな所から電話が来たのだ。
アルプスの例の少女の話に対して版権問題の電話だったのだろう。
そこで下町ハイジが取った行動は…
シカト!
かくして旗揚げ公演は何事もなく大成功。
その後、第2回公演会議で『さすがに次目つけられたらヤバいだろぅ』と言うことで劇団名変更。
『下町ハイヂ』となったのでした。
ちなみに今はそういった電話はかかってこない…
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